オーストラリア出身の解剖学者レイモンド・ダートは、1924年、南アフリカ共和国キンバリー近郊の町タウン (Taung) で、石灰採掘者が見つけた2、3の骨断片と頭蓋をダートの同僚が持ち帰ったものを見た。その頭蓋骨はヒト上科のものと似ていたが、一方で人間と似た特徴も有していた。例えば、眼球の位置、歯の並び、そして最も重要なのはその頭蓋骨には人類と同じような姿勢であったことを示す位置に脊柱とつながる穴(大後頭孔)があったことだった。その大後頭孔の位置は直立二足歩行をしていたことを意味する。ダートはその標本をアウストラロピテクス・アフリカヌス(アフリカ南部の猿人)と名づけた。これが、ヒト科の化石に「アウストラロピテクス」と名付けられた最初である。ダートは、この化石が類人猿と人間の中間種であると主張した。しかし、当時の科学会では「進化の順序としてまず頭部が肥大化し、次いで2足歩行になった」との考えが主流であり、ダートの主張は受け入れられなかった。当時は人類の祖先はピルトダウン人だと考えられており(1950年になってピルトダウン人の化石は捏造であることが判明した)、その常識もダートの主張が受け入れられない要因となった。
この発見により、この後、20年の間にアフリカ南部で発見されたアウストラロピテクス·アフリカヌスが科学界で受け入れられるようになった。
サイズ:13.7×7.6×11.4cm
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